ネットワールド誌ややイリテュイアタイムズで発表されたタイトルが「Princess of mist」になっていて、リアクションでもそのように印刷されていますが、これは恐らく事務処理か何かの手続き間違いで、「please give your heart」のタイトルが正しいのだそうです。
ロアン・カイエ教授とその執事エンリコが、立てこもり事件の人質となってしまった。事件の犯人であり、アイオライトを名乗るSvD(スレイヴ・ドール)の少女は、<P-01号>事件(イベント1702「血塗られた砂漠を渡る歌」)の黒幕、ガルディオラ・ガルラートと面識のあるハンターとの面会を要求しているという。
SvDに自我を植えつけ、そのデータを集めて『至高の存在』を生み出そうとしているガルラートは、己の研究のためには犠牲も殺人も厭わない犯罪者である。かつて<P-01号>事件に関わったハンターたちが集められて犯人との交渉に当たる一方、医療チームが大怪我をしているエンリコの身を案じる。
一方、かつてカイエ教授の研究室で起きた放火事件(イベント1802「クオレートの光と影」)の犯人で、今は教授の義弟として市民権を得ているマシウは、ハンターらの求めでガルディオラの残した鳥型偵察装置の解析に協力し、幸運な偶然も手伝って装置の修理を成功させる。
SvDであるアイオライトを製作したのはガルラート本人であり、アイオライトはその元から逃げ出したのだが、理由あってガルラートを殺したいと思っているらしい。この事件を起こしたのも。ガルラートを殺してくれそうな者を探し出すためだったと言う。
また、そのガルラートがかつて別の名前でクオレート学園に勤めており、カイエ教授とも面識があったことがハンターの調査で判明する。カイエ教授の案内で、当時のガルラートの研究資料が明らかにされようとしている。
閉ざされたドアの向こうから、腥い血の匂いがしたような気がしてアリシア・レイランドは柳眉をひそめた。その向こうの惨状を想像した脳が、勝手に作り出した趣味の悪い錯覚だろうと分かってはいても悪寒は消えない。
「大丈夫ですか?」
その様子にウィエ・カートランディスが小声で尋ねる。二人は以前にも、この建物で顔を合わせた事があるのだが、思えばあの時の方が幾らか緊迫感は薄かっただろう。
「大丈夫。緊張してるんです、きっと」
ぎこちない笑みで応えて、何度目かのため息をつきながら手の中の治療用メモリシアを転がした。
ブレンバルド・ジャーナルがクオレート医療機関での篭城事件を知らせたのを受け、アリシアは往診用バッグを抱えて飛び出して、現場となったロアン・カイエ研究室へとやって来た。が、そこは予想以上の混乱と緊迫に包まれて、ハンター達は身動きが取れない状態に追い込まれている。
人質に怪我人がいる以上、一刻も早い接触を望む声が上がる中、治安維持局は飽くまでも慎重な構えを崩そうとはせず、現在なおハンターギルド監査官であるヴァイオラ・ノインツィヒと折衝が続けられ、ハンター達は為す統べなく群れるばかりだ。歯がゆさが募る。
治安維持局がこんなにも神経質な対応なのは、既に一名に怪我を負わせている犯人・アイオライトが唯一外部に向けて放ったコメントの中に、記億にも新しい連続殺人事件<P-01号>の重要参考人であるガルディオラ・ガルラートの異名“インストリアの黒い鷹”の名前があった為だろう。事件の直接的な主犯・オブシディアンを射殺したガルラートは、未だにその消息が知れず、当局では血眼の捜査が続いていると聞く。そのガルラートは連続殺人事件の最中、まんまと治安緯持局にスタッフとして潜入していたのだ。管轄が違うとは言え、クオレートの治安維持局も二の轍を踏む事を畏れての慎重論なのだろうが、これでは人命にも支障を来たし兼ねない。
だがアリシアより先に業を煮やして声を上げたのは、同業のマミコ・ヤブサメであった。
「もういい加減にしてよ!中の人質がどうなってもいいって言うの?!」
悲痛なその叫びに固唾を飲んで状況を見守っていたハンター達がはっと顔を上げる。
白いマントを羽織ったアリシアとは違い、豊かな胸を着物で包んだマミコは、その若い面差しとあいまって、一見医者には見えない。だが必死で人命を救おうとするその姿は、まさに医師のそれであった。
「中の人が死んじゃったら、貴方達責任取れるの?!事態は急を要するのよ!」
「それとも、一人や二人の犠牲で“インストリアの黒い鷹”の手がかりが得られれば安いモンだとでも思ってるのかよ」
熱された鉄のような視線と氷の如く冷たい声でそれに続いたのはサーティー・フォーだ。権力を殊更嫌うパラサイトの少女はすでに殺気立っている。
「皆様落ち着いて下さいまし」
あわやと言った雰囲気は、ようやく姿を見せたヴァイオラによってどうにか均衡を取り戻す。動物の耳を模したようなセンサーを上下させる仕草が愛くるしいが、その後ろに続く幹部局員の顔色は青ざめ、恐ろしいものでも見るかのような眼差しでいる。密室でどのような協議が交されたのだろうかと、首を捻る局員の姿も垣間見える。
「ようやく室内の犯人との接触許可が下りました。尤も有事の際の責任は私達ハンターだけが被るということで、ようやく許可が下りたのですけれど。でも皆様ならそんな事、あり得ないでしょうから間題なしと言う事で」
「ちょっと待て牛耳」
「それから武装についてですが、現場が研究施設ですので、周辺汚染の可能性も考慮して、能う限り火器の使用は控えて頂きたいとの事です」
「こら牛メイド」
「とは言え私達まで死傷してしまっては意味がありませんから、最終的な判断は皆様にお任せ致します。ただし当該施設、及び設傭に被害が及んだ際には所属ギルドに請求が回るそうですからご用心下さいませね」
「ウサ耳!」
「何でございましょう?」
ぜーはーと肩で息をするサーティーは恨めしそうな顔で、しれっとしたヴァイオラを睨んでいる。勿論相手はその視線を意図的に無視しているのだが。
その面の皮の厚さについてを問い詰めてやりたいと思わないでもないサーティーだったが、ここはぐっと耐える。
「随分一方的に過ぎる話じゃないか?」
「一流のハンターであれば任務が過酷になるのは致し方のない事かと存じます。自信のない方は、今からでもご辞退頂いて結構ですけれど?」
無論居並ぶハンターの中に辞退の意を示す者などいない。その様子に満足感を覚えながら、ヴァイオラが頷いて見せると、静観を決め込んでいたブルー・ウィンドが寄りかかっていた壁から滑らかに身を起した。
「中では既に一名が負傷している。犯人を刺激しないよう、交渉を始めるに当たっては細心の注意が必要だな」
「私が行くわ!一刻も早い手当てを…!」
「そんなに興奮していては、まとまる話もまとまらなくなってしまいます。それに生きていてこその人質だという事は、犯人にだって分かっているでしょう」
アリシアが泣き顔のマミコをそっと諌める。その様子にブルーが首肯して、「そうだな」と小首を傾げると一人を指差した。
「シュヴァルツ・ファーベルティア。ガルディオラとも面識があるし、多分あんたが一番交渉役に相応しい」
突然の指名を受けたシュヴァルツは、目を白黒させながら自分の鼻先を示す。
「ぼくですか〜?責任重大だなあ」
言葉の割にはおっとりした口調だが、それがシュヴァルツというSvDの持つ特性の一つだ。対人関係に措いて極力ストレスを与えないようにデザインされている。それを感じ取って、ブルーは指名して来たのであろう。
「大丈夫、先方だって何か理由があって私達を集めたんです。悪いようにはなりません」
大きなバスケットを下げたアルメリア・ブルボンがシュヴァルツを励ます声は優しく愛情に満ちたものだ。
「そうですね〜。よーし、頑張りますよ〜」
俄然盛り上がりを見せる申で、ウィエはポケットの中にあるエアバイクの鍵に触れた。目立たぬように後ずさりながら、ブルーに耳打ちする。
「私、念の為にこの建物の完全な見取り図を探してきます。万が一の事もあるかと思いますので」
「……そうだな。ここからそう遠くない所に所轄の治安維持局がある。そこになら防災チェック用の完全な資料がある筈だ」
「分かりました。後をお願いします」
現場となったロアン・カイエ教授の研究室は真っ直ぐに伸びた廊下の突き当たりに位置する。同行を申し出た治安維持局員はヴァイオラが卒なく断り、ハンター達は一団となってドアの前へと立った。
「では、コホン」
さすがに緊張した面持ちのシュヴァルツがゆっくりとドアをノックする。――返答はない。だが聴覚センサは一つの足音をキャッチしていた。
「ぼく、ハンターのシュヴァルツと言う者です。アイオライト、このドアを開けてくれませんか?話をしましょう〜」
予想外な事に、ドアは速やかに開かれた。これまで一切の交渉を立ち切って来た相手とは思えない。だがそこには確かに、銃で武装した少女型SvD。アイオライトが立ちはだかっていた。
「意外に早いご登場ね。それもこんなに大勢、怖い顔をした人ばかり」
あどけないアイオライトの言葉に任務も忘れてソニア・アルフォートが目を吊り上げる。
「何ですってー!」
ブルーが素早くその口を掌で覆うのを見てころころと笑う。豪奢なワンピースにけぶるプラチナブロンド。滑らかな肌はほんのり薔薇色に染まり、まさに可憐な人形の面立ちだが、背後からは嫌悪を催す血の香りが漂う。
「えーと、ありがとう、アイオライト。それで出来れば怪我人を助けたいんだけど……」
「駄目。だってアレは人質だもの」
玩具の所有権を主張する子供のような口調であっさり却下されてしまい、シュヴァルツはたじろぐ。そこへ助け舟を出したのはアリシアだ。適当な距離を保ったまま、膝を折って視線をアイオライトに合わせる。
「人質は、私達に何か聞きたい話があって、その為の取引材料ではないの?」
「まあ、それもあるけど、押さえておけばまだ色々役に立つわ」
「でも彼らが死んでしまっては何の意味もないとは思わない?」
「白地に赤十字のマント。――貴方お医者さんなのね」
「メモリシアで傷の手当てだけでもさせてちょうだい!」
「それが治療用だとは限らないじゃない」
マミコの必死の叫びに唇を尖らせたアイオライトは、ちょっとおしゃまな貴族の令嬢にも見える。だがそんな事に気を払う余裕のないマミコは、キッと睨みつけるだけだ。
「それならこれが《治療II》だと、証明すればいいのね」
言うが早いか帯に挟んでいたダガーを取り出し、左腕を切りつける。滴った血が数滴、床に弾けたのを見屈けてから、メモリシアを発動させた。仄かな光と共に肌に走った赤い筋が消える。その腕を見せつけるように差し出しながら、右手がダガーを投げ捨てる。
「これでどう?」
足元まで滑ってきたダガーを器用に蹴り上げて小さな手に納めると、アイオライトは呆れたようにため息をつく。
「他人の為にそんな事までするなんて、人間の考える事は分からないものね。でもそう、よく考えたらここで貴方達と睨み合ってても仕方ないのよね。どうぞ入って」
一歩下がって腕を広げたアイオライトに、ブルーが黙ってライフルの弾倉から鈍い金色の輝きを放つ銃弾を抜きとって革袋に落す。
「何してるの?」
「オレ達はあんたに危害を加えるつもりはない。これくらいは礼儀のうちだ」
「へんなの。別に貴方達が全員で飛びかかって来たって平気だもの」
その書葉には構わず、やはり武装を解除するエブリース・プライアードの後ろでは、ヴァイオラが思案げな顔で状況を伺っている。
人質が無事開放され、アイオライトの捕獲に成功すれば任務は完遂だが、まだその保証はどこにもない。最悪この全員の命と引き換えにしてもヴァイオラは生き残るつもりでいたし、任務失敗などという汚名を着るつもりもなかった。二丁揃えたサブマシンガンを誇示するように手にして室内へ入る。
「随分大袈裟な装傭。自分の性能に自信がないのかしら」
少女の前を横切った一瞬に聞こえた声は、敢えて黙殺する。他人がどう言おうと、生き残った者に架せられた責務を、放棄するつもりはなかった。
それに手にしたマシンガンの重みはいつだって、自分が狩られる側でなく、狩る側だと思い出させてくれるのだ。
(中略)
アイオライトに許されて室内へ踏みこむと、まず真っ先にマミコがエンリコ・クレイフォードの元へ駆け寄る。ロアンに支えられるようにしたエンリコの顔色は蒼く、呼吸も浅くテンポの速い状態であった。一瞬大泣きしそうになったマミコであるが、それを堪えて呼びかける。
「エンリコさん、大丈夫?しっかりして!」
その後ろでは、エブリースがカイエに容態を尋ねている。アリシアはバッグを広げて注射器の用意をしながらそれに耳を傾けた。
「銃弾は一発。腹部を貫通しているようですが、臓器に損傷はないと思います」
「意図的に外したんだろう、多分。少し出血が酷い。何か投与したか?」
銃創を押さえる手はおろか、服や床にまで深紅のねっとりとした液体が広がっている。
「用意がないもので、何も」
「アリシアさん、増血剤は?」
エブリースの言葉にアリシアは液体の満たされたアンプルを見せる。
「鎮痛剤も同時に投与して、それからゆっくり《治療II》で回復に専念しましょう」
「よろしく頼みます」
手早く治療の準備を整えるアリシアに、苦痛を堪えるかのような表情で頭を下げたカイエに、アルメリアはそっと椅子を勧めた。疲れ切った男の前でバスケットを開けて紙に包まれた塊と口の大きなポットを並べる。
「お疲れ様です。パンと暖かいポトフですから、少し召し上がって下さいね。そんな気にはなれないでしょうが、何か食べないと体が参ってしまいます」
「ああ……ありがとう……」
項垂れたまま答えるカイエの髪は乱れ、服には点々と血痕が擦ねている。それどころか両手にべったりとエンリコの血がこびり付いているのに気がつくと、アルメリアは部屋の隅にあった実験器具を洗う為のシンクで自分のハンカチを濡らして差し出した。
アイオライトはその慌しい光景を不思議そうにしばらく見入っていたが、やがて飽きたのかカイエの使う革張りの椅子にちょこんと腰掛けて、また口を尖らせる。
「人間って大変。すぐ死んじゃうものね。こんなに弱いのに、他人を恨んだり、すぐ怒ったりするの、へんだわ」
リボンのついた靴は床まで屈かず、ぶらぶらと空中で揺れている。ハル・卜ールットはその正面に腕を組んで立ちはだかると、顔を顰めて尋ねた。
「で、一体何だってこんな事仕出かしたんだ?万が一死人でも出たら、あんた逮捕されるだけじゃ済まされないんだぜ」
「そうですよ〜。ガルラートに何の用があるんです〜?関わっていい事あるような人ではないと思いますけどね〜」
「そうだそうだ!あんなヒトを手玉に取って高みから見下ろしてるようなタイプ」
言葉にも顔にも、嫌悪と怒りが色濃く滲むのを、まだ少年のハルには押さえる事が出来ない。だがアイオライトは動じない。
「そうね、ああいうのを『ロクな男じゃない』って言うんでしょ?あたしだって知ってるわ」
「ガルラートを知っているんですか?」
ショウ・アイランズがふと顔を上げる。名前が出た時点で両者は何らかの関係で繋がっていると予測はしていたが、敢えてとぼけてアイオライトの情報を引き出そうという狡猾な話術だ。
「知ってるわ。会った事もあるわ。本当〜〜に嫌な男よね。とても我が侭」
「分かってるじゃねーか。そこまで知ってて、まだ何か用でもあるのか?」
ハルの言葉に少女はにっこり笑う。背後の窓から差し込む光が、薄い色彩の髪をきらきらと輝かせて目に眩しい。のぼせたようにぽ〜っとなる頭を、ハルがぶんぶんと振る。
「あるわ。とても大事な用件が」
「何でしよう〜」
「その前に。貴方達、本当はあたしをどうするつもりなの?」
「勿論、出来るだけ穏便に済ませたいと思ってますよ〜。ねえ、ヴァイオラさん」
自分で言いながら苦しい言い逃れだと気付いたのだろうか、シュヴァルツが突然に話題をパスして逃げる。だがそれしきで慌てる程、ヴァイオラの被った猫は薄っぺらではない。内心でSvDによる死傷事件の判例を思い出しながらも、それはおくびにも出さずにアイオライトに笑顔を向ける。
「勿論寛大な対応をして頂けるよう、然るべき所へ働きかける所存ですわ。ただ、その為には少しアイオライト様のお話も伺わなければいけませんけれど」
「あたしの話?」
「ええ、貴方様の身元や、ガルラート重要参考人とのご関係、ですわ」
淀みなく誘導するヴァイオラに、アイオライトは探るような眼差しを無遠慮に向ける。
「ただ話せを言っても難しいでしょう。どうです?ここはお互いの情報を交換して、一間一答形式で話を聞かせてくれませんか?」
二人の間を取り持つようになされたショウの提案に、天使のような外見をしたSvDは鷹揚に頷いて見せた。
「ま、いいわ。じゃあ言い出しっぺが質問に答えて――」
小さな女王様よろしくふんぞり返っていた少女が、目と口をぽかんと開けて止まってしまう。その急激な様子に、一瞬「充電切れ?」などとあり得ない事を考えてから思わず振り向いたショウの目もまた、ぎょっと見開かれる。
「どいてーっ!」
フルボリュームで絶叫しているのは、エアバイクのグリップを握るアルファス・レイフォードの姿であった。
器用にも空中を走るエアバイクをウィリーさせ、ハンター達を奇妙な動きで避けながら急ブレーキで着地する。
「ふええ〜」
その背後で目を回しているのはシルティア・カーネリアスだ。背中にフェザーハウンドがへばりつき、小さな羽をパタパタ懸命に動かして回避の手助けをしていたらしい。
前部のシートから降りたアルファスが、固唾を飲んで見守る全員の視線を受け、少々よろめきながら両足を踏ん張ると、ホルスターから銃を取り、何故かアイオライトではなく、いや増した疲労感に顔を顰めたカイエに銃口を向けて止める。
「えっと……人質を人質として使えないようにされたくなかったら、武器を捨てるんだよ〜」
誰もが予想しなかったその暴挙に、百戦錬磨のハンターも対応を選びあぐねて場が硬直してしまう。それに気がついたのは、かなり足元の怪しいシルティアであった。
「あの〜、アルファス様。犯人様は武器を持っておられないようですけれど〜…」
おずおずと指差したデスクの上に、先ほどまでアイオライトの持っていた銃が転がされている。
「あれ?」
その声でようやく我に帰ったエブリースが、足音も高くアルファスに歩み寄ると、野良猫でも捕まえるかのように襟首を掴んで持ち上げた。
「こら、なぁにやってんだ全く」
「あれえ〜?」
「お騒がせして済みません〜」
「あれえ〜?」
耳を尻尾を限界まで垂れ下げたシルティアが平謝りに謝って、どうにかアルファスが降ろされる。それでもまだ首を捻っている少年の様子に、アイオライトが吹き出した。
「きゃははは!へーんな人」
意外にも機嫌は損ねていないらしい。
「まあ、アルファス様。元気が余っていて結構な事ですね。アイオライト様も喜んでらっしゃいますし」
場違いと言えばこれ程場違いに呑気な台詞もない。そう思いながらエブリースがアイオライトにこっそりと目を配ると、少女、は最前より寛いだ様子で椅子に深く腰掛けている。突然の出来事で交渉が決裂するかと、手首に隠しておいたワイヤーのリールに触れようとした手をそっと引き戻して安堵の息を吐いた。
「申し訳ありません〜。どうぞお話を続けて下さいませ。ここは片付けておきますので〜」
シルティアが動揺で赤く染まった頬のまま、パタパタと掃除用具を探し始めるのを興味深そうにアイオイライトは眺めている。
「あー、おかしい。やっばりあそこを逃げて来て正解だったわ」
「逃げて?」
聞き捨てならない単語に、ショウが片眉を吊り上げる。だが追求しようとした言葉は、少女からの質間で強引に叩き落された。
「あたしに聞きたい事があるなら、まず一つ、こちらの質問に答えないとダメよ。ずばり聞くけど、ガルラートは今どこにいるの?」
「それが分かってたら、ここに一緒に連行して来てるよ。全ー然!わっかんねぇの」
ハルがため息と同時に、両手を「お手上げ」する。
「インストリアでの事件以降、足取は杳として知れないってワケよ」
そう吐き捨てるソニアも、勝気な顔が珍しくうんざりとしている。まだあの事件の悪夢から開放されていないのかもしれない。
「えー…。何か意味のない質間だったわ…」
ぷくーっと脹れる頬を見ながら、ショウは壁に寄りかかりながら考える。
『逃げて』という表現がされたと言う事は、やはりガルラートに捕らえられていたと考えるのが自然であろう。だが行方は知らない。何らかの形でコンタクトを取りたいのだろうが、その目的が判然としない。何かの犯罪に関わっている可能性だってあるだろう。
ひとまず様子を見る事を決めこみ、口をムズムズさせているハルに目配せする。
「で、逃げたってどっからだよ」
「決まってるじゃない、ガルラートの所からよ。そんな事も分からないの?」
「何だと!何かすっげえムカつく奴だな!」
食って掛かろうとするハルには見向きもせず、アイオライトは「これで一つ答えたからね」と指を立てる。
「次の質問。貴方達は合法的な殺人を許可されてる?」
「殺人?!」
さくらんぼのような唇には、およそ似つかわしくない物騒な言葉にソニアが顔色を失う。
「そうよ、ヒトゴロシ。出来るの出来ないの?」
「出来るワケないでしょ。むやみやたらにそんな事したら、こっちのライセンスが剥奪されて裁判沙汰よ」
「なあんだ、役に立たないわね」
「一々失礼ねーッ!」
ハルと青いソニアと言い、どうやらアイオライトとはしみじみ相性が悪いらしい。先ほどまでの緊迫感はどこへ行ったのか、揃って頭から湯気の出そうな勢いである。
「随分物騒な事を聞くんですね〜。一体どんな事情があるんですか?事と次第によってはお力になりますよ〜?」
そしてシュヴァルツの場合、周囲にストレスを与えないどころか、本人も部分的に鈍く出来ているのではないかと疑いたくなる程、小揺るぎもしないマイペースを保っている。
だが少女はその言葉にかぶりを振った。
「ダメよ。人も殺せないハンターなんかじゃ、何の役にも立たないわ。あーあ、無駄骨だったのかしら……」
そう呟いて膝を抱え込むと、体と足の間の谷間に頭をすっぽり落して黙り込んでしまった。シュヴァルツがあたふたとしながら、助けを求めて回りを見まわす。
「そう気を落さないで下さいませ。全く手段がない訳ではございませんわ」
見かねたヴァイオラが優しく声をかけてやると、少女は今にも泣きそうな瞳でその顔を見上げる。
「相手が凶悪犯罪者であったり、市民の生命に危険が及ぶ恐れがある場合、ハンターには例外的に射殺許可が下されます。勿論法的な手続きが必要となりますが。けれどそこまでしなくても、きちんと裁判に持ち込めば終身刑などで死んだも同然の処置を下す事も可能です」
「ダメよ、終身刑じゃ。殺さなきゃ」
もしSvDに涙を流す事が出来たなら、この少女は泣いていただろう。だが涙も涙腺も持たない彼女は、ただ固く膝を抱えるだけだ。
一体このSvDが何を考えているのか、ヴァイオラには計り兼ねる。
「殺したいのはガルラートだな」
ブルーは自分が淡々と告げた、その言葉に少女が大人しく頷いたのを見て気がついた。
考えていたより、このSvDは子供だ。いや、基本的に子供そのものの人格なのかもしれない。隣に立つヴァイオラが愛くるしい少女の姿で、その実は敏腕の監査官であるように、SvDの人格は外見からは判断出来ない。
だが人質に怪我を負わせたまま、外部との交渉を絶つなどしていたアイオライトを、殆どのハンターが冷酪無比な人格だろうと踏んでいたのは大間違いだったようだ。
「丸っきりの子供だったって事か」
ぼそりと呟いたブルーの前では、アイオライトが顔を覆って俯いている。戸惑う大人達に代わってハルが耳まで真っ赤にしながら宥めようと苦戦している姿は、こんな時でも微笑ましい。
何気なくポケットに手をやると、何かが指先に触れた。キィホルダーについた星型の小さな飾りだ。
「何してるんだ」
急にごそごそし始めたブルーに、エブリースが不思議そうな視線を送る。
「ちょっとね」
そう言いながら淡い金色を帯びた星の飾りを外す。それが太陽の光を受けてきらきら光るのを見ながら、今度は自分がつけていたシンプルなチェーンだけのネックレスを外し、そこに星の飾りを通す。即席のネックレスが完成する。
「ほら」
決まり悪そうにぐずぐずとして顔を上げないアイオライトの前にそれを突童出す。
「何……?」
「ネックレスだ。あげるよ」
多少の気恥ずかしさも手伝って、口調はついぶっきらぼうなものになってしまう。その様子をこれ以上楽しい事はない、という顔で見守っているソニアの視線に気がついて、ドツボに嵌るのを避けるべく、ブルーは有無を言わさず、それを少女の首にかけてやると、さっさと踵を返してソファに座りこんでしまった。
「……ありがとう」
もらったばかりのプレゼントを握りしめながら、かすかな声で口にされた言葉に、いよいよ恥ずかしくて、顔をさらにしかめながら自分の膝に頬杖を突くと、開け放たれたドアから誰か入って来るのが見えた。
「やあ、来てたのか」
そこにいたのはファイルケースを小脇に挟んだカーレルだ。後ろにはウィエとレイスの姿もある。さっと横切ったのはマシウだ。一散にロアンやエンリコの方へ向かったらしい。
「どっちかって言うと、あんたの方が来てたのかって感じだ、カーレル」
「ちょっと調べ物だ。――あれがアイオライト?何だか予想と違う展開になってるみたいだが」
「全く持って同感だ」
交す言葉が聞こえたのだろうか。アイオライトがふと視線を寄越したのをきっかけに、カーレルは武装してない事を示すようにファイルケースを持った手を上げたまま部屋の中央へ歩み寄る。
「初めまして、お嬢さん。カーレル・ウィルゼスターと申します。どうぞお見知りおきを」
そう言って優雅に小さな手を取って頭を下げると、そのまま上目遣いに微笑する。
「失礼かとは思ったが、色々と調べさせてもらったよ」
低い囁きに顔を強張らせたアイオライトが摘まれた手を引き抜いた。だが青年の翠の瞳は、不敵な笑みを浮かべたまま、自信を崩そうとはしない。
「ブレンバルド・ジャーナルに唯一掲載された写真から拾った画像で製作元が判明した。半年程前、フルオーダーで受注したと開発関係者からも確認が取れている。そこから推察するに、カイエ教授を狙ったのは偶然じゃないな」
自信満々のカーレルの言葉に、ソニアが待って、と声を上げる。
「どういう事?まさかカイエ教授がオーダーしたとでも言うの?」
「いえ、発注者はディオラ・G・ラートと言う男性です。この人物が九割九分ガルラート本人でしょう。そして六年前のクオレート学園で、同名の博土が確認されています」
ウィエが補足をするが、まだ話は見えて来ない。それに更に付け足したのは、苦渋の滲むカイエの声だった。
「俺が薬草学に転向した頃にいた博士だ。だが授業は持たず、何か研究に没頭していたようで、一年足らずで退官しているが」
「その後すぐにお亡くなりになっています。一応事故死との扱いですが、真偽の程は……どうでしょうね」
パラパラと手元でめくっていた資料を閉じて、ウィエが優しい笑顔でアイオライトに手渡す。
少女は緊張の面持ちで、ディオラ・G・ラートに関する資料を読み進めると、がらりと変わった厳しい雰囲気をまとってカーレルとウィエに尋ねる。
「この博士の研究内容についての資料は見れられる?――顔は違うけど、多分これがガルラートだと思うわ」
アイオライトの言葉に、思わずカイエが椅子を蹴倒して立ち上がった。
「まさか!」
「でも違うって保証もないんじゃない?」
資料を覗き込みながら、ソニアが沈着冷静にカイエの言葉を一蹴する。
「どっちにしても、その資料とやらが見られれば分かる事だわ」
「――分かった。そういった資料であれば、私が取りに行くのが一番早い。ついでにアレを病院に搬送したいんだが……いいね?」
カイエの視線がアイオライトの視線と正面からぶつかる。数秒の逡巡を見せた後、少女はそれを承認した。
「貴方達がいなくなっても、ここにはこれだけ人質がいるから、別にいいわ。その代わり、ちゃんと資料は持ってきてよね」
「私は約東は守るタイプなんでね」
面白くもなさそうにそう言い置いたカイエが、デスクからカートを一枚取り出すと、それを翳して尋ねた。
「さて、誰か荷物持ちをしてくれるかな。重い物は持ち慣れてないのでね」
いつもの調子が戻ったようなカイエの言葉に、幾分顔色の良くなったエンリコは「やれやれ」と呟くと、満足そうに笑って、また目を閉じた。
サーティさん、ソニアさんとは「カロリーブロック新製品」の時に印象的なやり取りがあった方ですが、特に今回のサーティさんとのやり取りは、桜マスターが過去リアを読んでいるとしか思えないような会話ですね。
こっちでも牛耳とか言われているヴァイオラさん。Scene3以外の全域に渡ってまんべんなく出番があって、心情にまで踏み込んだ描写がって大満足です。……って、そのせいで、上のリアクション抜粋が限りなく全文掲載になりかけているような。いいのか?
何の因果か、前作で、クリーチャーに精神を乗っ取られて自爆させられそうになった人造人間ツヴァイを逃走させて大罪人になってしまった挙句、EP社に反抗する組織を転々としていたセリスタ姉ちゃん(ステマリ#1「約束の地の探索者」PC)とか、悪の科学者の愛人だったニエ姉ちゃん(同、蒼兎魔丹くんのPC)とか、人間反逆歴のあるSvDの身内が何人もいることがバレやしないかと密かにヒヤヒヤしているヴァイオラの、余裕なようで全然余裕のない心理状態を想像しながら読むといい感じです。
以前、自分の参加しなかった別のイベントリアの「マスターより」で、
「自分のシナリオは予定調和で話を進めるので、PCが頑張っても結果は変えられません」
と受け取れるような意味の発言をして、幾つかのステマリ関連Webサイトで物議を醸した桜マスターでありますが、PCの設定や、行動の動機などは細かく描写してくれる方という印象を持っています。
……なので、今回はそれを意識したアクションの書き方をしたつもりです(今回はアピール欄の内容も掲載しておきます)。実際どの程度イベントハガキの内容がリアクションに反映していされていて、何が反映されていないかは、下の「送ったイベントハガキの内容」の項目を参照してください。
結果、個人的には満足のできる結果を得られたと思っています。たとえ結末が固定されていて変えられない場合でも、過程を情緒的に盛り上げていくようなプロット欄の書き方は、前作(約束の地の探索者)やカルディネアHGシリーズ(英雄王ディグランツ/古代王国の終焉)で色々研究したものです。
■目的
人質の救出を優先
■動機
市民に混じって暮らすSvDへの配慮と、自分自身の保身が最優先でございます。
■プロット
説得班の状況を横目で見ながら、突入・犯人射殺のための準備や法的手続きを進めます。表向き、クールに装いつつ、笑顔を忘れずてきぱきと仕事を遂行いたします。SvDである自分が、微妙な立場にいることは認識しています。エゴイストである自分は、他人の心配などしていられません。
ガルディオラ・ガルラードなる人物が個人的な研究のために作ったプログラムが、SvDを暴走させていた事件、それが今回の事件との関連を疑われている<P-01号>事件の真相だと聞き及んでおります。仮にガルラード重要参考人が作ったプログラムが、アイオライトにも植えつけられているとすれば、実験の成果を回収するため、ガルラード重要参考人やその手下が現れる可能性もございますわ。共犯者が近くに潜伏していたり、最悪、突入班にガルガラードの手のものが混じっていたりする可能性も考慮し、その場合の対応をシミュレートしておかなければなりません。そして、獅子身中の虫を取り締まるのはハンターギルド監察官の仕事でございます。
ガルガラード重要参考人の研究については、個人的な興味はありますわ。SvDに心を持たせる研究は、研究者にとって永遠のテーマでございますし、「人の心を持ち、人に近きものであれ」というのは、SvDに刻まれた本能のようなものでございます。研究が13、4年前であれば、フライハイト・プランの目的の一つ、人類を超越種に進化させる計画に寄与したかも知れません(「約束の血の探索者」HAブランチ)。SvD工学者であった父も、同じような研究をしておりましたわ。ですが、フライハイト・プランは一度否定された過去でございます。否定された価値観を、多くの被験者に犠牲を強いるような方法で蒸し返すことは、過去への冒涜だと考えますわ。
■アピール欄
うさ耳アンテナ(一部では牛耳とも言われているが……)、かわいいメイド服を着た童女タイプのSvD。にこやかで可愛く見えて、実は結構エゴイストでいい性格をしているが、根っからの悪人という訳ではない。現在クラスはガーディスで、今回の任務にはグリフォン(サブマシンガン)二丁拳銃を持ち込んでいる。
スレイヴドールの大量破棄時代の生き残りで、内心、多くの同胞を見捨てて自分だけ生き延びてしまったという罪悪感と、自分は生きねばという使命感を抱えており、同じSvDに対しては屈折した同胞意識がある。
内心、今回の事件のことを他人事に思えないでいる。(裏設定であるが)ヴァイオラには同じ工房で生まれた89人の姉(前作の自分のPCを含む)がいて、その多くが人間に逆らって処分されたりしており、自分の創造主はガルガラートと同じく、SvDに自我を持たせる研究をしていたのではないかと考えているようだ。銃口の向こう側に立っていたのは自分ではないかという錯覚に時折囚われ、内心怯えている。